こはぐら通信~古波蔵太朗の日々~

沖縄に12年、地元に戻ってきました。日々の記録を綴っています。

一本の時計


朝、大学に着くと数分遅刻していることに気づく。
僕の腕時計が狂っていたらしい。
時間を直そうと思い腕時計のネジを引っ張ると、
勢いよく外れて地面に転がってしまった。。

今ここで落としたのだが、
地面にかがみ、目を皿にしても見当たらない。
参った。

諦めきれずに探していると
通りがかりの職員さんが
「金でも落ちているのか、見つけたらビールおごってくれよ」と
一緒に探してくれる。

有難いなあ、悪いなあ、と思っていると
通りがかりの先生が
「コンタクトを落としましたか」とお手伝いしてくれる。

更に学生も通りかかり
「お手伝いしますよ」となってしまった。

ますます恐縮してしまう。

このまま、学生教職員、数名が地面にかがんでいたら
もっと人が集まってしまうと思い、諦めることにした。


昼休み、ちょっと見てみようと思い、
再度現場あたりを覗き込んでいると

「なにやっている?」と今度は別の職員さんに見つかってしまった。
これこれしかじかで、と話すと

通りがかりの学生と職員さんも集まり、
皆さん、かがんでネジを探すことになってしまった。

またもや
ありがたいけど、悪いなあ、という気持ちになり
今度こそ、諦めることにした。
これ以上、僕の時計のネジ一本に学内を巻き込んではマズイ。

合理的な落とし前の付け方かもしれない
今度時計屋さんへ行ってみようと心に決めた。


夕方、帰ろうとすると、
先ほどの職員さんがやって来て、
冗談っぽく「これ祖父ちゃんの形見の時計のネジ」と言って
ネジを持ってきてくださったのである。

あれーー、本当に驚いた。
あれほど探しても見当たらなかったネジを、
探し当ててくださったのである。
恐縮に次ぐ恐縮だった。

僕の時計のネジ問題がこんなことになってしまって
ああ、大学は血の通うコミュニティかもしれない、とも実感した。
一人が集まると、もうひとり、もうひとりとなる。

友人からのお土産の時計だったけど、
「この時計は僕の形見にします」と言うのが
せめてものお礼だった。



騒ぎを起こした時計とネジ