京都と池掃除
・京都にて
京都でのシンポジウムに参加する。
「日常の言葉は日常生活を語るためのもの
構造化された困難を語るためには専門の言語や概念、そして仲間が必要だと感じた。
だから私は大学で学んだ」
と、ある障がいの当事者の方が仰っていたが、
非常に納得した。
生きるために必要な学問というこういうことなのだろう。そういう場をつくっていきたい。
終了後に顔馴染みの方々へ近況報告し帰宅。
5時間の京都滞在だったが、心をホットにすることが出来た。
・池掃除、泥掃除
父は以前より、池掃除がしたい、池掃除が、とぼやいていたのだが
母に止められ、なかなか実行できなかった。
この度、協力して下さる方々が集まり、ついに実行できたのだ。
池掃除といってもヘドロを土嚢に詰めて運び出す、という
超重労働なのだが、
和気あいあいで進めることが出来た。
皆さん腰は大丈夫だったろうか。
人文科学から自然科学まで、お坊さんは総合的な能力が求められるもの。
大変なことだが、様々な試みができるのが楽しくもある。
経験と勉強だ。