こはぐら通信~古波蔵太朗の日々~

沖縄に12年、地元に戻ってきました。日々の記録を綴っています。

沖縄での見聞き

クリスマス前後は沖縄で過ごしました。
その間のことをいくつか。

・クリスマス
家族のクリスマスパーティにて
我が子はたくさんもらって、大喜びだった。
夕方には、ご近所さんがプレゼントを持ってきてくれる。
近所にもサンタがいるのだ。

サンタは親だけではない、というのはいいなと思った。
たくさんのサンタに囲まれて、幸せなことだ。

もちろん、僕もサンタになりました。

「サンタが来たんだよ、どこかな、どこかな、って来たんだよ」と
翌朝は嬉しそうにサンタ談義なり。

天皇誕生日
義父母と妻さんとNHKの天皇特集を観る。
前半は結婚について、後半は沖縄について。

一緒にいたい人と一緒にいる、というのは尊いことだなと思った。
そして、沖縄で襲撃されるくだりでは、義父母ともに申し訳なさそうだったが、
天皇」のとらえ方も一様でないことがよくわかる。
沖縄で観るのと、内地で観るのでは印象が異なる。

・埋め立て
辺野古の埋め立てが始まり、
様々な報道・解説を見聞きしたが、この視点はなるほどだった。
これも内地からは見えにくいところだ。

以下、転載します。

おいでおいで

この間のことをいくつか。

・言われてなんぼ
昼休みに学生と雑談。
聴覚障がいと支援について研究している友達がいるとのこと。
「その人は男性?女性?」と僕が尋ねると
「男性・女性で判断するのは良くないですよー」と
間髪入れずに反応がある。

えっと思ったが、支援と性別について先入観があることを痛感した。
言われて気づくことがある。言われてなんぼだ。

・研修会
3年間、9回の教職員研修も終了。
これですべての職員が聞いてくれたことになる。
はじめは緊張でガチガチだったが、少しは慣れたかな。
話すことで人は成長するのだ。
これからは次の人たちが話す機会をつくっていこう。

・出版記念会
先生の出版記念会に顔を出す。
50年間編集に関わっている方が
「体験したことを書く姿勢は一貫している」と評していた。
先生にとっては、書くことは生きることなのだ。
僕も出会った人、起こったこと、日常を書けるようにありたい。

・おいでおいで
妻子とテレビ電話で話す。
見知らぬおばさまから、ミッキーのキーホルダーをいただいたという。
「おいで、おいでして、もらったんだよ」とミッキーを見せてくれる。
この世代は、何処にいても「もらう世代」だ。
たくさんもらって、いつか誰かにおいでおいで、できるようになってほしいな。

・旧友との再会
12月は旧友との再会がいくつかあった。
子どものこと、親の健康のこと、自身の体調のこと、そして転職・引っ越しも。
同じ時を歩んでいる仲間だからこその親近感がある。
若い時以上にこのつながりは大切だな、と思った。

あっという間に今年も暮れそうだ。
生きることの奥深さを感じる一年になりそうだ。

仲よくしたらいいのよ

仕事中に姉から電話がある。
母方の祖母が体調を崩していたのでそういうことだろうな、と分かる電話だった。
98歳、大往生だ。

母方の祖母は童心を持っている人で、遊びに行くと甘いものをよくくれた。流行りの場所にも連れて行ってくれるのだった。

僕らの結婚のときは沖縄まで来てくれた。
その後、妻さんが夫婦の心得を尋ねると
「仲よくしたらいいのよ」と絶妙のアドバイスをくれたこともある。
懐かしい思い出だ。

今年は父方・母方の祖母が亡くなり、
これで4人の祖父母が皆あちらの世界へ行ってしまった。
明治、大正、昭和、平成と大きな時代の渦の中を生きた人たちだ。
長い長い人生、お疲れさまでした。
98歳まであと60年、僕もやりますよー。

自分の字があった

沖縄でのことをいくつか

・ばあちゃん子
1か月ぶりに沖縄へ。わが子は相変わらず元気だが、義母についてまわり、
完全なおばあちゃん子になっていた。
眠るときも「ばあちゃんがいい」と言って、
義母の部屋、布団に潜り込んでいた。
部屋からは
ごにょごにょと話が聞こえたり、一緒に歌っている声が聞こえたり、
修学旅行の夜のような楽しげな雰囲気が伝わってくる。

家事をやりながら、
朝から晩までわが子の相手をしてくださり、頭の下がる思いだった。

・リサイクルショップにて
沖縄に着ていった服をリサイクルショップに売却し、
断捨離を少しずつ進めている。
今回もいくつか売り飛ばす。それなりに買い取ってくれるので、
断捨離の心理的ハードルが低くなる。

価格査定中に
沖縄関係の本コーナーを眺めていたら、僕と先生の名の本が並んでいた。

不思議な気持ちで手に取ってみる。
「書き込みあり」とのことでディスカウントされていた。
どんな書き込みだろうと思い、ページをめくると、先生のサインの下に僕の署名があり。

自分の字がそこにあるのは、これまた不思議。
いつ嫁入り・婿入りするか、ひそかな楽しみにしよう。

40近くなり

最近のことをいくつか

・朝のお勤め
大きなお寺の朝のお勤めに通い初めて4か月がたつ。
通い始めたときは汗だくでやっていたが、
今は、キーンと冷えた空気になった。お寺にはこの空気が合う。

細く長く、通い続けられるようにしよう。

・幼稚園研修
父の代理で幼稚園の研修・見学会に参加する。
見学した園の方々より、

「うちの保育の基本はあなたの園ですよ」
「お父さんは理想に燃えていました」と伺う。

うれしくもあり、大きな仕事があることを感じた。
理想の保育といわゆる「社会からの要請」と、あるが、
子どもの世界を大切にできるようにありたい。

・手話勉強会
幼稚園の保護者の手話勉強会にて講師役を務めるも、参加者は数名。
さわりだけやって後は、おしゃべりタイムになる。
それぞれの親の考えや家庭事情とともに幼稚園があるのだな、と感じた。

広い視野を持ちながら一人一人との信頼関係をつくっていこう。
40近くになり、新たな世界が見えてくるかな。

話す機会

・「心臓が…」
聴覚障がい関係のイベントで学生2名とお話をする。

舞台裏で「心臓が、心臓が、、」と緊張の様子だったが、
舞台に立ってしまえば堂々としたもの。
内容も素晴らしく、多くの方が共感しながら聴いているようだった。

「甥をこの大学に入れたくなりました」(一般)
「もう一度大学に入りたくなった」(聴こえない方)
「聴こえない学生が入学するので相談したい」(他大学)
などなど、様々な感想を伺う。

やはり、学生の声が届くのだ。
僕の役割は皆の活躍の場をつくること。

・「次は私が」
学生とやっている小さな勉強会でお話しする。
いつもは学生が話しているのだが、僕が指名され、話すことになったのだ。
沖縄でのことを中心に
今考えていることを、ざっくばらんに話した。

皆、よく聴いてくれて様々な質問をもらう。

「今学生だったら何をやるか」
「理想の支援とは」
「どんな父親になりたいのか」など。

そして「次は私が話したい」と立候補もあり。

この大学にやってきて4年目、
自分なりのスタイルでこなせるようになってきたかな。

気が付いたら変わっていた、というのが目指すところ。
自分の色を少しずつ出していこう。

沖縄にて

1か月ぶりに沖縄へ。
飛行機を降りると「古波蔵さん」と声をかけられる。

後ろの席に、大学の運転手をなさっていた方が座っていた。
数年前に大学を退職し、時間を見つけて旅行をしているという。
次会えるのはいつだろうか、と思い握手で別れる。

ショッピングモールでは、かつての障がい学生に出会う。
試行錯誤しながらの生活のようで
学生時代に悩みながら、それでも意思を持って歩んでいたことを思い出す。
こちらも、握手で別れる。


大学に立ち寄り、懐かしいメンバーと談笑しながらの作業。
その中のお一人が今年沖縄に移住したとのことで、移住のきっかけ等を伺う。
なんと、僕が深くかかわっていた障がい学生支援に興味を持って、
大学の仕事にも応募したとのことだった。

一通りの話が終わり
「今の話を聴いて鳥肌立ったけど、実はこの人が前任者ですよ」と
僕が紹介される。
沖縄ではこういう出会いが度々あったなあ、と思い出す。

そして、皆さんと話していると
今でも沖縄にいるような気持ちになってしまうから不思議だ。
離れても変わらぬお付き合いができるのがいい。